他界した父親の本籍をだどって居るうちに、昔の本籍が東京にあった事が分かりました。まだ東京市の時代で大正末から昭和の初めの頃です。父親は昔のことをほとんど話さなかったので、そこに住んでいたかどうかは分からないのですが、神田の電気学校へ通っていたという話を聞いたことがあり、興味がわいてきました。 そこで、東京市麻布区笄町(こうがいちょう)という地名がどこなのか調べようと、国会図書館に行って見ました。
別にここでなくとも良いのですが、利用者IDも取ってあるので、検索やコピーの手続きも簡単でよく利用します。地図室に行けば昔の地図もあるのですが、インターネットで検索すると、昔の地図と現代の地図を左右に並べた本が出ていることが分かりました。
その本から目的の部分をコピーして、早速歩き始めました。行く先は今の港区西麻布で、地図を見ると六本木ヒルズのすぐ近くです。曇り空なので歩くのは楽なのですが、国会議事堂の裏を通って溜池を過ぎると喉が渇いてきました。
熱中症になるといけないので、カフェで小休止、六本木ヒルズを目指します。
最近、仕事で重いものを背負って歩く事が多く、膝の調子が悪いのですが、カメラを取り出すと何故か調子が出てきました。
結局、歩き始めてから1時間ほどで目的地に着いたのですが、街角の地図にはテレ朝通りと書いてあります。六本木ヒルズの真横です。「ほー、こんなところに住んでいたのだろうか・・・?」と思いながら、昔の面影を探したのですが、桜田神社と言う神社と、お寺がひっそりと建っている以外は、まさに現代の最先端と言った印象です。結構おしゃれで、モダンなところのあった父親なので、こんなところを歩いていたとしても、おかしくは無いかも知れせん。
僕にはどうも場違いな感じがするし、夏休みでごった返している街は苦手で、早々に引き上げてきました。