2000.11.21(火)〜11.26(日) ギャラリーf分の1(御茶ノ水)
林 保明 『コリア・メランコリア』
韓国への初めての一人旅は、1992年の8月だった。夏休み真っ盛りの週末で、成田空港もソウルの金浦空港も、旅行客でごった返していたのを覚えている。海外旅行3回目の僕は、入国手続きの列の長い方に並んでしまい、空港を出たのは着いてから40分以上も過ぎてからだった。一人旅と言っても行き帰りだけはツアーとなっていたのだが、何故か参加者は一人だけで、空港の出口では旅行会社から派遣された女性が、夏の日差しさながらに、じりじりしながら僕を待っていた。
おずおずと近づいて行くと、開口一番「何をやっていたのですか!?」、「ちょっ・・・、ちょっと手間取って・・・」、「時間がないのですよ!、もう・・・!」、僕の荷物を奪い取るやいなや、タクシー乗り場の方へどんどんと歩いて行ってしまった。「(まずいなぁ・・)」その剣幕に押され、僕はただ、のこのこと後を着いて行くほかなかった。
タクシーが動き出し、道路もさほど混んでないことが分かると、Yさんという若い女性の表情が少し和らいで来た。これで少しは取り付く島が出来たと思い、「チョヌン ハングンマルル コンブハゴ イッスムニダ。(僕は韓国語を勉強しています)」と話しかけてみる。すると怪訝そうに、「いつからですか?」、と言う質問が帰ってきた。僕は心の中で「シメシメ」と思い、「この4月からです!」、「じゃあ、あの文字は何と読みますか?」、といきなり前から来るバスの行先表示を指さした。「(エッ!)・・・、キンポコンガン(金浦空港)」、「あれは?」、「チョソンウネン(朝鮮銀行)」、次から次と目に付く看板を指さしてくる。
僕は必死に看板を読んで行くのだが、只でさえ乱暴な運転のタクシーに揺られた上に、左右に顔を動かしていたせいで、車に酔って来てしまった。「(まいったなぁ・・・)」
そんな事にはいっさいお構い無く、Y女史の攻撃は前にも増して『これでもか!』と続いて来た。「プサンウネン(釜山銀行)」、「あれは、何ですか?」、「トン×コンソル(統×建設)」、「良く出来ました!、でも一つ間違えています!」、「・・・(一つ位、良いじゃないか!、まったくぅ〜)」
これが本当の「ハングル酔い(?)だ!」などと言っている内に、いつしか8年の歳月が過ぎ、「チョヌン ハングンマルル コンブハゴ イッスムニダ。(僕は韓国語を勉強しています)」は、今日もまた進歩無く続いている。